hearthのお気楽洋書ブログ

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The Origin of Species (Charles Darwin) - 「種の起源」- 204冊目

ジャンル: サイエンス・ロジック
英語難易度: ★★★
オススメ度: ★★★☆☆

小さい頃好きだった古いアニメに「メルモちゃん」というのがありました。 手塚治虫先生による名作です。 幼い女の子メルモちゃんが赤色と青色の不思議なキャンディを舐めることで、一気に歳を取りセクシーなお姉さんになったりお婆ちゃんになったり、また赤ん坊になったりするという摩訶不思議なストーリーなんです。 その中でも特にぶっ飛んでいる設定が、摂取するキャンディの配分を変えることで胎児にまで若返り、その後にイヌやネコなどの他の哺乳類に変身するというのがありました。受精卵からエラ付き魚、両生類を経て哺乳類になり、というシーンをよく覚えてます。 「ヒトも受精卵からの状態だと他の生物との共通の要素が多く、そこから他の種に分化(進化)して行くんだな」と驚きながら観ていました。 科学的には随分荒唐無稽な話ですが、これは僕が初めて「進化論」的なものに触れ合った最初の経験でした。
大人になってからDawkinsの「The Selfish Gene (利己的な遺伝子)」を読む機会があり(53冊目)、この本をよく理解するためには原点とも言える「the Origin of Species 」を読まねばならんと考えた次第です。


本書、オリジナルタイトルは「On the Origin of Species by Means of Natural Selection, or the Preservation of Favoured Races in the Struggle for Life」。 非常に長いです。デカルトの「Discourse on the Method (方法序説)」(122冊目)もそうですが、この長いタイトルというのが、昔は箔付けになってたんでしょうかね。
序論からの展開は科学論文というよりも平易な文章でどちらかと言えばエッセイのような感じがしました。 これが現在の生物進化論の大元となっていると思うと、なかなか感慨深いものがありました。 ただ中盤辺りになると徐々に専門的な内容になってきて、字面を追っていても目がスベるようになってきます。動植物の専門英単語名のオンパレードです。 正直、かなり激しく飛ばし読みしました…Kindleの辞書機能を使っていなかったら、おそらく読み終えられなかったと思います。噛みしめるように精読しなければ意味が取れません。 結果、随分と読了するの時間がかかってしまいました。
(1859年発刊)


メモポイント

● 遺伝子の存在がまだ発見されていない19世紀当時に、生存している生物の現象面のみを観察して、いま一般的に知られている生物の樹形図の原型を推理して創り出したところ、ダーウィンは恐るべき慧眼の持ち主と言えます。
その主張のメインは、「自然淘汰・適者生存」。 一言でいうと、環境に適したものが、たまたま(個体レベルではなく種のレベルで) 生き残るということ。 勘違いしてはいけないのが、キリンは環境に適応しようとして首が伸びたんじゃないということ。 たまたま首が長い種が高い木の葉っぱを食べて生き残りました。 そして生き残った種どうしで交配するとその特質は遺伝として更に残されていきます。 ですので今地球上にいる生物はたまたま環境に適応していて今ここにいるということなのです。それは必ずしも優秀だったり強かったりというわけじゃありません。変化するから生き残れるわけではないのです。 種はそれほど簡単に一代で変化などできません。同グループの交配の中で特徴が少しずつ異なる種ができる(遺伝子のちょっとした組み合わせの違いで) 、それによって気の遠くなるような長い期間を経て適応した種のみが残るということなのでした。 その考えに基づくと、今現在ぼくたちの周りにいるすべての生物は、等しく40億年という長い期間を経て自然淘汰の選択を生き残ってきた仲間でありライバルであると言えます。 単細胞生物といえども今でも存在している生物は環境に適合して生き残ってきた、つまり進化の結果であると言えるのでしょう。

Science has not as yet proved the truth of this belief, whatever the future may reveal. On our theory the continued existence of lowly organisms offers no difficulty; for natural selection, or the survival of the fittest, does not necessarily include progressive development—it only takes advantage of such variations as arise and are beneficial to each creature under its complex relations of life.


● 細かい各種の動植物に関する分析を読んでいると、自然淘汰と退化の違いの一節など現在読んでいても古びていません。 「Frankenstein (フランケンシュタイン) 」(93冊目) を読んだ時も感じましたが、19世紀の文章が現在も違和感なく読むことができるとは文化資源として凄いことだと思います。


● 今でこそダーウィン自然淘汰説は最も正当な生物の進化についての理論であると共通認識されていますが、発刊当時は異端学説の一つとしての扱われていました。コペルニクスガリレオと同様、あまりにも世間に受け入れられ難いその考えを主張し続けたダーウィンの心持ちと情熱、臨場感がこの本には溢れています。 進化論に対する反論をこれでもかこれでもかとロジックで覆そうとしています。 その情熱たるや凄いものがあります。
論文発表後まもない頃、本心では進化論を認めている学者もいたようですが、おおっぴらにはしなかったようです。 後には、みんな認めるようになったと、ダーウィンは少し誇らしげです。

I formerly spoke to very many naturalists on the subject of evolution, and never once met with any sympathetic agreement. It is probable that some did then believe in evolution, but they were either silent or expressed themselves so ambiguously that it was not easy to understand their meaning. Now, things are wholly changed, and almost every naturalist admits the great principle of evolution.


ダーウィン反対派は、自然淘汰説に基づいて考えても有為な種が残る可能性は確率から見て非常に小さいと考えました。 すべての生物を創りたもうたのは神であり、特別な配慮がなければこれほどのバラエティに富んだ種が同時に存在するはずもない、と考えたのです。 当時の一般常識では「自分たちの祖先がサルだった」とは受け入れがたい理論だったのでしょう。(ただしこれは誤解です。 祖先がサルというわけではなくヒトとサルの共通の祖先からそれぞれ進化したということなのですが。) また反対派は次のようにも主張しました。 もし自然淘汰により徐々に進化(変化)を遂げたのであれば、なぜ途中経過の種の化石、つまり中間種が見つからないのか? キリンの首が長くなる進化の過程で中くらいの長さの首を持つキリンの先祖の化石は見つからないのか?

ダーウィンは次のように主張しました。
「化石はもともと特殊な条件でしか残らないので、十分に網羅されていないだけ。 今後はもっと発見されるだろう」
「中間種として種が分かれる時には、個体数が少なく分布エリアも狭いのでそもそも化石として残りにくく自然消滅しやすい」

As according to the theory of natural selection an interminable number of intermediate forms must have existed, linking together all the species in each group by gradations as fine as our existing varieties, it may be asked, Why do we not see these linking forms all around us? Why are not all organic beings blended together in an inextricable chaos? With respect to existing forms, we should remember that we have no right to expect (excepting in rare cases) to discover DIRECTLY connecting links between them, but only between each and some extinct and supplanted form.
(中略)
I have also shown that the intermediate varieties which probably at first existed in the intermediate zones, would be liable to be supplanted by the allied forms on either hand; for the latter, from existing in greater numbers, would generally be modified and improved at a quicker rate than the intermediate varieties, which existed in lesser numbers; so that the intermediate varieties would, in the long run, be supplanted and exterminated.


ちなみに読みにくいところを我慢して最終章、「recapitulate conclusion 」まで行けばグッと読みやすくなります。結論のサマリーになっているので、時間の無い方はここだけでも読んでみれば良いかもしれませんよ。

それから、トリビアをひとつ。 ダーウィン一族の華麗なる血筋なんですが、 磁器で有名なウエッジウッドの創業者は母方のおじいちゃんだそうですね。 そして妻となるエマもウェッジウッド家の出身。 いとこ同士の夫婦でした。

The Origin of Species: Filibooks Classics (Illustrated) (English Edition)

The Origin of Species: Filibooks Classics (Illustrated) (English Edition)

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