hearthのお気楽洋書ブログ

洋書読みの洋書知らず。永遠の初心者。 まったりとkindleで多読記録を更新中 (ツイッターは、hearth@洋書&映画)

On Reading and Books (Arthur Schopenhauer) - 「読書について」- 234冊目

ジャンル: 哲学
英語難易度: ★★★
オススメ度: ★★★☆☆

むかーし、「目がつぶれるほど本が読みたい」っていうキャッチコピーがありました。 角川書店が文庫販促キャンペーンで使っていたものです。 このフレーズ、元はこの角川書店の創業者である角川源義の若き日のエピソードが元になっています。彼がたまたま手にした河合栄治郎の著書の欄外に、この言葉「目がつぶれるほど…」の書き込みがあったそうです。どこの誰とも分からないその読者の強烈な思い。 心揺さぶられた源義さんは、戦後まもなく焦土と化した日本で、衣食住にも事欠くような状況下にあってもなお知性に対する市井の人々の渇望を感じ取り、精神の再生と文化の興隆を図るべく角川書店を創業したと言われています。

それにしてもこのフレーズ、なかなか過激な表現で今の世ならストップがかかりそうですね。 しかし、当時のどん底状態の中でもインテリジェンスに憧れと切実な願い持った人々が多く存在していた。 その思いがこの過激な一言に溢れているような気がします。本当の本好きならばこの気持ち、分かるような気がします。

そして本好きの一人として、本日お話ししたい本はショーペンハウアーの「読書について」です。 あまりにも有名なこのエッセイ、多くを語る必要はないでしょう。 アフォリズムに溢れたこの作品、自戒のためにメモポイントに抜き書きしたいと思います。

ハウアーさんはこのエッセイの中で、読書の弊害について述べており、「読書なんて良くない習慣だ」と主張されているように一見、読めてしまいます。 がしかし、実際にはそれほど単純に「読書を避けろ」と言っているわけではありません。
ポイントは次の二つに尽きると思います。

1. 所詮、読書は著者の思索の後追い。 読んだだけで読者自身が深く思索し行動に移さなければまったく意味がない。

2. 世の中にはあまりにも多くの本で溢れている。 数年で消える悪書に時間を使うのは限りある人生の上で無駄。長年の風雪に耐えた良書を読むべき。

ちなみにこの作品、キンドルではなくネット上のPDFで見つけたのですが、どうも難しい。 単語は平易なものの意味を取るのに難儀しました。 結局、和訳本を買って答え合わせをしてしまいました… こういう著作はよく噛んで味わって何度も読まないといけませんな。
(1851年発刊)


メモポイント

● 我々が本を読むとき、それは著者の思考を単に後追いしてなぞっているだけなのだ。 それは、小学生が鉛筆を手にして先生に言われた通りに意味も分からずつづり方を覚えているようなもんだ。

When we read, another person thinks for us: we merely repeat his mental process. It is the same as the pupil, in learning to write, following with his pen the lines that have been pencilled by the teacher.

自分で思索もせず、他人の思考に便乗して満足している人のいかに多いことか。


● 本を読んでいるとき、読者の頭の中は他人であるその著者の考え方に占められている。 頭脳を他人に預けているということ。 読書はこのようにして、自分自身で考えるという筋力を少しずつ奪っていく。 与えられた思考で満足するのは、馬に乗り続けた人の脚が萎えてしまい、自分の力で歩けなくなるようなもんだ。

But, in reading, our head is, however, really only the arena of some one else’s thoughts. And so it happens that the person who reads a great deal — that is to say, almost the whole day, and recreates himself by spending the intervals in thoughtless diversion, gradually loses the ability to think for himself; just as a man who is always riding at last forgets how to walk.

かなり辛辣です。 読書の弊害を強調していますが、読書をすると同時に読みっぱなしではなく思索を重ねて行動に移すことの重要性を説いているのだと解釈しました。
それにしても、こんなに辛辣な事を書いているハウアーさん自身も大変な読書家ですからね。 自身への戒めのためにもこのように表現したのかも知れません。


● したがって、読書をする上での最も大切な技術とは、「(悪書を) 読まないこと」である。

Hence, in regard to our subject, the art of not reading is highly important.

せやかて工藤、名著やなくても面白い本もあるし。 しゃーないやんか。 なあ、和葉。


● 悪書は読まなければ読まないほど良い。 良書はいくら読んでも読み過ぎるということはない。 悪書は知性に対する毒薬であり、精神を破壊する。 良書を読むための条件とは、悪書を避けることである。 命短し。 読む力と時間は限られているのだから。

One can never read too little of bad, or too much of good books: bad books are intellectual poison; they destroy the mind.
In order to read what is good one must make it a condition never to read what is bad; for life is short, and both time and strength limited.

ハウアーさんは特に、今一番売れているベストセラーというものは悪書であり「時間の無駄本」として絶対に避けるべきと強く主張しています。 それでは、読むべき本とはいったい何なのか? それは長年の風雪を耐え、試練の時期を乗り越えて生き残ってきた作品のみが読書に値すると説いています。 確かに、売れているからと手にしたものの、読み終わってイマイチだなあと虚しく感じてしまうことは良くありますね。本を選ぶ技術は大事だなと深く感じます。 なので、なるべく人からのオススメ本や書評での高評価のある本を優先して読むようにしています。

「Life is very short, and there’s no time. For fussing and fighting, my friend」
John Lennon も言ってましたよね。




本を読んだだけで満足してしまい、思索をしない。 耳が痛いです… こうやって感想を書くことで、少しは自分なりに作品を反芻したり、自身の考え方の糧になっていれば良いのですが。

ところで。
私の好きな本に『深代惇郎の青春日記』という日記本があります。 深代惇郎さん。当代一の知識人と言われたこの方。 朝日新聞記者で、天声人語の執筆者の一人でした。1975年に46歳で急性白血病で早世。 若き日に記された彼の日記からは知性を貪欲に身につけたいという「インテリげんちゃん」の青臭さがほとばしっています。とても好きな本です。 まさにこんな人が「目がつぶれるほど本が読みたい」と思ったんだろうなーと感じました。 良かったら手にしてみて下さい。


https://ebooks.adelaide.edu.au/s/schopenhauer/arthur/essays/chapter3.html

読書について 他二篇 (岩波文庫)

読書について 他二篇 (岩波文庫)

(Amazonで英文のキンドル版を見つけられなかったので、翻訳本のリンクを貼っておきます)


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