hearthのお気楽洋書ブログ

洋書読みの洋書知らず。永遠の初心者。 まったりとkindleで多読記録を更新中 (Xは、hearth@洋書&映画)

What Do You Care What Other People Think? (Richard P. Feynman) - 「困ります、ファインマンさん」 - 173冊目

ジャンル: 自伝
英語難易度: ★★☆
オススメ度: ★★★★★

敬愛する理論物理学者でありノーベル物理学賞受賞者であるファインマンさんによる抱腹絶倒エッセイ2作目。(邦題は「困ります。ファインマンさん」) こちらも前作「Surely You’re joking, Mr. Feynman! 」(134冊目に感想) に負けず劣らず面白い。 特に若き妻アーリーンとの別れのくだりと、スペースシャトル・チャレンジャー号の爆発事故調査委員会のエピソードは外せません。
科学する心とは何か、という事を初めて教えてくれたのがこのファインマンさんシリーズです。 前作と本作を邦訳で読んだ途端にもう圧倒的にファインマンさんファンになってしまいました。 現在、科学関係の仕事をされている方々の中には若き少年・少女時代にこのシリーズに出会って将来の夢を志した方も多いのではないかと思います。 もっと若い頃にこの本と出会いたかった…(1988年発刊)


メモポイント
● 恋人であり若き妻となったアーリーンとの出会いと別れ。 前作の「Surely You’re joking, Mr. Feynman! 」の感想を書いた時の文章ですが再掲します。

—————————
What Do You Care What Other People Think?

これは恋人アーリーンがファインマンさんに常にかけていた言葉。 彼の自由で本質を見ようとする性質は彼女からの影響が大きかった。(この彼女の言葉はのちに出版される作品のタイトルにもなった。邦題は「困ります、ファインマンさん」 こちらも面白い! 以下はこの続編に書かれたエピソードです。)

若き恋人アーリーンは病に冒されていた。彼女の命が長くない事を知りながらも、周りの反対を押し切って彼はアーリーンと結婚。 しかし残念ながら彼女は程なく早逝してしまう。 最期まで献身的に支えた続けたファインマンさん。 一人になってからは放心状態になり涙も出なかった。 しばらくしたある日、街を歩いていた彼はショーウィンドウに飾られていたあるワンピースを見かける。
「ああ、アーリーンが好きそうな服だな」
思った途端、初めて涙が溢れ出して止まらなかった。

このくだりには読んでいて思わず涙が。


ファインマンさんの父親は幼い頃の彼を連れてよく林を散歩をした。 そして自然界のいろんなことについて楽しくおしゃべりをした。 他の親子もそれをステキな事と思い同じように散歩をして「自然」について語り合うのが流行るようになる。 よその父親たちは「あの鳥の名前は…だよ」と息子たちに「自然」について教えてあげる。 ファインマン親子は少し違っていた。 鳥を見かけると「あの鳥はポルトガル語では…, 中国語では…と言うんだよ」 もちろんデタラメである。 「そんな事よりも」と父親は言う。「あの鳥が何をしようとしているかじっくり観てみよう。 大事なのはそこなんだよ。 物の名前を知ることと、その物を理解することはまったく別物なんだ。 名前を知ったからといって分かった気になってはいけないよ。」 友達たちはファインマンさんの父親が鳥の名前も知らないとからかったが、まったく気にならなかった。 ファインマンさんの父親は科学者でもなんでもなく制服を売る一介のセールスマンだった。 しかし科学する心を誰よりも持っていたのだ。

You can know the name of that bird in all the languages of the world, but when you’re finished, you’ll know absolutely nothing whatever about the bird. You’ll only know about humans in different places, and what they call the bird. ... I learned very early the difference between knowing the name of something and knowing something.

I learned from my father to translate: everything I read I try to figure out what it really means, what it’s really saying.


● 芸術家の友達が一輪の花を取り上げてファインマンさんに言う。「君たち科学者は花の美しさを分かっちゃいない。 花をバラバラに分解、分析したあげくに台無しにしてしまうんだ」 ファインマンさんは答える。「 そんな事はない。花を美しいと感じるのは誰だって同じだよ。それどころか、(中の細胞の構造などの)科学の知識を持つことはもっと多くのワクワクするような疑問を引き出してくれるんだ。花の美しさ、自然の謎や偉大さの価値をもっと高めてくれる。損なうことなんて何もない。」

I have a friend who’s an artist, and he sometimes takes a view which I don’t agree with. He’ll hold up a flower and say, “Look how beautiful it is,” and I’ll agree. But then he’ll say, “I, as an artist, can see how beautiful a flower is. But you, as a scientist, take it all apart and it becomes dull.” I think he’s kind of nutty. .....
There are all kinds of interesting questions that come from a knowledge of science, which only adds to the excitement and mystery and awe of a flower. It only adds. I don’t understand how it subtracts.”


● 科学的知識とは既にある確実な事実を言うものではない。 あるのは「その知識はあくまでも仮説であり、その解釈の確からしさがどの程度のものか」ということだ。 自分たちがいかに無知であるかを認めて、決めつけずに議論の余地を残しておく。これが科学的な態度。

We have found it of paramount importance that in order to progress we must recognize our ignorance and leave room for doubt. Scientific knowledge is a body of statements of varying degrees of certainty- some most unsure, some nearly sure, but none absolutely certain.”

科学ライターの竹内薫さんも著書「99.9%は仮説」の中で以下のような同趣旨の考えを述べられています。
殆どの理論は仮説なんですがその信頼度合いにグラデーションがあるだけだという事。つまりどこまで行っても仮説なので、将来のいつかで覆される可能性があるということを多くの例を引いて説明してくれています。 デカルトの考えたエーテルの概念も当時は絶対的真実と見なされていたそうですが例外では無く、後の世にその理論はくつがえされてしまいました。


ぜんぜん関係ありませんが、量子電磁力学の専門家のファインマンさんが解く数学の証明問題は、やっぱりQ.E.D.で結ばれているんでしょうね。
知らんけど。

"What Do You Care What Other People Think?": Further Adventures of a Curious Character

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