ジャンル: ミステリー
英語難易度: ★★☆
オススメ度: ★★★☆☆
邦題が美しい小説です。 原題の”Absent in the Spring”とはシェイクスピアのソネットの一節だそうですが、このタイトルの邦訳は翻訳者の方のセンスでしょうか。 以前にも書きましたが、「たったひとつの冴えたやりかた」や「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」など、素敵なタイトルの小説はカバーを見ただけで読んでみたくなりますよね。
そして本作、その雅な邦題からは想像もしていなかったヘビーな内容でした。 毒親一代記。 子を持つ親なら皆、思い当たるフシがあるかも。 おー、こわ… 夫を、そして家族を愛していると思い込んでいた本作の主人公Joan。 しかし実のところ彼女が最も愛していたのは自分自身なのでした。どのように周りから見られているかが彼女の関心の全て。 ミセス・ブランニュー・デイ。 割とよくあるタイプの人かもしれません。
「 私に任せておけばいいの! 私は全て分かっているんだから。」そう思い込んでいた彼女。 しかし残念ながら実は「分かっていなかった」のは彼女だけでした。 本作、ページをめくるたびに詳細に描かれたエピソードを通して、少しずつ彼女の鈍感さが浮き彫りにされていきます。 とても愚かな(でも可哀想な)妻であり母親である一人の女性の心理を描いた佳作です。
(1944年発刊)
粗筋を少し。
病気で寝込んでいる末娘を見舞い家事を手伝うために、嫁ぎ先であるバグダッドに向かったJoan。 無事に役目を果たして娘夫婦から感謝され慰留されつつもイギリスへの帰途に着いた。 その旅路の途中で偶然出会ったのは女学校時代の友達Blancheだった。 かつての美人でクラスの人気者、スクールカーストの頂点にいた彼女は、今では身持ちが悪くすっかり落ちぶれた老女となっていた。 「可哀想なBlanche。私は彼女とは違う。素敵なダンナとすっかり大人になって幸せに暮らす子供達…」ガサツで落ちぶれて見えるBlanche。 しかし彼女の裏表のない率直な言葉はJoanにとっての本当の幸せの定義について見直すきっかけとなった。 モヤモヤとした気持ちを抱えつつ、運行の乱れによりいつ来るか分からない大陸横断鉄道を砂漠の駅で待つJoan。 Blancheは目的地に向かって先に立ち去り、持ってきた本も全て読み終わり話し相手もいない砂漠の宿。 やがて他にすることがないJoanの心にある一つの疑念が湧いてくる。 それは忘れようとしても鎌首を持ち上げてくるトカゲの様な恐ろしい想像だった…
(ここから、以下ネタバレなんでご注意!)
砂漠の中で自身と向き合わざるを得ない状況となったJoan。 そして煩悶を重ねながらついに彼女はある確信にたどり着く。それは無意識のうちに今まで避けてきた考え、彼女が理想型として作り上げてきた家族の絆は実は幻想だったかもしれないという悲しい推理だった。 それは大事に育ててきた彼女の人生は全て悲しい「家族ごっこ」であったことを認めることだった。 自身の勇気の無さに気づいたJoan。 神の啓示を受けた今なら家族の愛を取り戻せるかもしれない。その最後のチャンスを逃さないために必要なこと。 それは今までずっと大事にしているフリをしながら実際には虐げていた夫のRodneyや子供たちに対して、帰国してすぐに自身の弱さを伝え詫びることだった。 はたして彼女は自身と向き合いこれからの人生をやり直せるのか、それとも今まで通り現実から目を背けて「家族ごっこ」のバーチャルリアリティを生きるのか。この二者択一の場面は手に汗握ります。
メモポイント
● 「夫婦のうちで本当に分かっているのは私だけ。オトコなんて子供みたいなものよ。全然分かってないんだから」
自分が全ての正解を持つと思っている妻。
She must be wise for the two of them. If Rodney was blind to what was best for him, she must assume the responsibility. It was so dear and silly and ridiculous, this farming idea. He was like a little boy.
● 「私は自分のことなんて、今まで考えたこともなかったわ。 全て子供たちのため、そして愛するRodneyのために尽くしてきたの」
なんとおめでたい思い込み。
Well, that is what she had done—always thought of others. She hardly ever thought of herself—or put herself first. She had always been unselfish—thinking of the children—of Rodney.
● 「今までなんて酷いことをしてきてしまったのだろう。 こんな私を受け入れてくれたRodney…」
やっと自身の真実の姿に気がついたJoan。
彼女の心は稚拙で愚かだったが、しかしそこには確かに愛はあったのだ。彼女は帰途につく旅路において心に誓う。 夫と子供たちに再会したらすぐに告げよう。 さあ、夫、そして子供たちとの愛の再建は叶えられるのか…
Because, in his gentleness, he had not fought with her and conquered her, he was so much the less, for all his days on the earth, a man …
She thought, Rodney … Rodney …
She thought, And I can’t give it back to him … I can’t make it up to him … I can’t do anything …
But I love him—I do love him …
And I love Averil and Tony and Barbara …
I always loved them …
● エピローグ。 夫の独白で締めくくられます。 簡潔で見事、そしてあまりにも残酷。 「高慢と偏見」に出てくる主人公の両親を思い出しました。 思慮の浅い母親とそれを内心軽蔑する事で自分のプライドを保つ父親。 ざらりとした読後感はイヤミスとも言えるでしょう。さすがChristie ですね。
She came to him with a sudden rush, almost breathing, she said:
‘I’m not alone. I’m not alone. I’ve got you.’
‘Yes,’ said Rodney. ‘You’ve got me.’
But he knew as he said it that it wasn’t true.
He thought: You are alone and you always will be. But, please God, you’ll never know it.
Christie がMary Westmacott名義で書いた本作はミステリーではありません。 最後まで読んだ方は分かると思いますが、どちらかというと心理ホラーです。ゾッとする現代の怪談。 バーチャルリアリティ。
「The Daughter of Time (時の娘)」(105冊目に感想) の主人公の様に、人間はヒマを持て余すといろんなことを考えてしまうもんですね。
Absent in the Spring (English Edition)
- 作者: Agatha Christie writing as Mary Westmacott
- 出版社/メーカー: HarperCollins
- 発売日: 2014/04/24
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