hearthのお気楽洋書ブログ

洋書読みの洋書知らず。永遠の初心者。 まったりとkindleで多読記録を更新中 (Xは、hearth@洋書&映画)

The Handmaid’s Tale (Margaret Atwood) - 「侍女の物語」- 279冊目

  • ジャンル: 小説(SF)

英語難易度: ★★☆
オススメ度: ★★★★☆

 「初心者にも簡単。ディストピア社会を作るためのハンドブック」という本があるんじゃないかな。 そう思えるほどに、全体主義や管理社会を描いたディストピア物語には共通点が多いと感じます。 公開処刑、粛清、相互監視、密告、盗聴などなど。 しかし残念ながらこれらのゾッとする共通点は、小説家の頭の中で生み出された創造物なんかではありません。過去の歴史の中にお手本はたっぷりあるのですから。人類が繰り返し繰り返し行ってきた愚行を、そのまま文章に落としこんでいるだけのことなのでしょう。
 中国の文化大革命ナチスドイツ、現在の北朝鮮タリバン政権下の女性たち、そしてもちろん第二次大戦中の日本にもありました。 何百年に一度、起きるような偶然の産物ではなく、全体主義体制の社会はもっと高い確率で発生しています。 一人一人が善なる心を持ち、良き父、良き母、良き隣人である人々が、ひとたび集団になり組織になると暴走して残酷になってしまう。  これは元々の組織体としての人類の持つ脆弱性ではないか、と感じています。 
  戦争前の日本情勢を記した当時のエッセイや「アンネの日記」(221冊目に感想)の冒頭部を読むと、意外な程に始まりは普通の暮らしが営まれており、またどこかしら明るく開放感もあり、数年後に全体主義へと突き進んでいくなどとは、当時の人々自身もとても信じられなかったでしょう。普通に暮らしをしていたところからの急激な生活の変化があり、皆が驚いている間にどんどん自由が奪われていく。以前の普通の幸せな暮らしが描かれているからこそ、この小説は恐ろしく後味の悪い話になっています。
「今の日本は近代化されているんだ、昔とは違う」とどうして言える? 自身に問いかけています。


 粗筋を少し。
 近未来のアメリカでクーデターにより政権が倒れて、超過激派キリスト原理主義全体主義で社会を管理する共和国ギレアデが建国される。 ここでは、監視、密告、公開処刑、身分差別により統治されており、異端・不満分子は死刑もしくは汚染地帯の処理を行う収容所送りとなっていた。 また環境汚染や原発事故による遺伝子への悪影響により出生率が激減したため、健康な女性たちは支配者層である「コマンダー」のための子供を生む生殖機械「侍女」として仕えるように決められた。
 そのような侍女の一人が本作を一人語りで進めるオフレッドである。 彼女は元々、女子大卒で図書館勤務、夫も幼い娘もいた。 そして別の本名があったのだが、侍女になると自身の家族から引き離され、名前も新たにつけられる。それは仕える支配者層である「コマンダー」のファーストネームに所有物の意である「of」をつけた名前であり、彼女の場合は、「コマンダー」である老人フレッドの持ち物となったので、Offred(オフレッド)と呼ばれた。 もし妊娠して出産できれば収容所送りは免れるが、しばらくすれば、また新たな「コマンダー」のところに向かい、新しい名前がつき妊娠出産の繰り返しとなる。
 オフレッドはこのような抑圧の日々の中、感情を伴わない儀式として、コマンダーの妻セレーナの同席のもと、機械的コマンダーとの生殖活動を続けていた (子作りは聖なる儀式のため、コマンダーの妻の目の前での性行為が義務付けられている)。
 そんなある日、コマンダーはこっそりと、二人きりで会うことを求めてきた。 機械的な生殖活動ではなく人間としての触れ合いを求めてきたのだ。 もちろん法律違反であり、見つかれば厳罰に処せられる。 日々の抑圧から逃れたい彼女はコマンダーの真意に不信感を持ちながらも、権力者である彼の力により現状を変えられるかもしれないとの一縷の望みを託して一人で彼の部屋に向かう。 
 一方、コマンダーの妻セレーナは老齢の夫が既に受精能力がないと見抜いており(もちろんセレーナ自身も老齢であり妊娠できない)、オフレッドとの儀式を続けても妊娠しないと分かっていた。自身の社会的地位を守るためには、オフレッドが妊娠する必要があるため、お抱え運転手のニックに抱かれて妊娠するように密かに命じた。 もちろんこれも露見すれば厳罰・処刑される。
 それぞれの秘密に巻き込まれたオフレッド、自分の人生を自由にできない。もどかしさの中で物語は進んでいく。
(1985年 発刊)


メモポイント
⚫︎ 狂気のシーン。 夫の行為中、侍女の頭をを自身の股の上に置き、侍女の手を握って最後まで見守る。
 女性だからといって、女性自身の権利を守るために一致団結して一枚岩となるわけではない。 権力者の妻は「ワイフ」と呼ばれ、その特権階級を享受し、侍女たちを生殖機械の動物として蔑む。しかしワイフたちも決して幸せというわけでは無い。目の前で夫が性交するのを見守る儀式とは何と傷つくことか。夫も妻も侍女も哀れ。

 Serena has begun to cry. I can hear her, behind my back. It isn’t the first time. She always does this, the night of the Ceremony. She’s trying not to make a noise. She’s trying to preserve her dignity, in front of us. The upholstery and the rugs muffle her but we can hear her clearly despite that. The tension between her lack of control and her attempt to suppress it is horrible. It’s like a fart in church. I feel, as always, the urge to laugh, but not because I think it’s funny. The smell of her crying spreads over us and we pretend to ignore it.
(中略)
 Above me, towards the head of the bed, Serena Joy is arranged, outspread. Her legs are apart, I lie between them, my head on her stomach, her pubic bone under the base of my skull, her thighs on either side of me. She too is fully clothed.
 My arms are raised; she holds my hands, each of mine in each of hers. This is supposed to signify that we are one flesh, one being. What it really means is that she is in control, of the process and thus of the product. If any. The rings of her left hand cut into my fingers. It may or may not be revenge.
 My red skirt is hitched up to my waist, though no higher. Below it the Commander is fucking. What he is fucking is the lower part of my body. I do not say making love, because this is not what he’s doing. Copulating too would be inaccurate, because it would imply two people and only one is involved. Nor does rape cover it: nothing is going on here that I haven’t signed up for. There wasn’t a lot of choice but there was some, and this is what I chose.
(中略)
 Serena Joy grips my hands as if it is she, not I, who’s being fucked, as if she finds it either pleasurable or painful, and the Commander fucks, with a regular two-four marching stroke, on and on like a tap dripping. He is preoccupied, like a man humming to himself in the shower without knowing he’s humming; like a man who has other things on his mind. It’s as if he’s somewhere else, waiting for himself to come, drumming his fingers on the table while he waits. There’s an impatience in his rhythm now. But isn’t this everyone’s wet dream, two women at once? They used to say that. Exciting, they used to say.

 生殖機械としての女性の存在。陳腐なエロ漫画のモチーフのようなおどろおどろしいストーリー。 しかしよく考えたら江戸時代の大奥も似たようなもの。 そこに個人の尊厳などない。恋愛感情に基く子作りではなく繁殖用のブリーダーなのだ。 食肉用家畜として育つ少女たちのマンガである藤子F不二雄の「ミノタウロスの皿」と変わらない。


⚫︎ この異常な環境下では、正気を保つことに何よりの価値がある。 かつてお金を少しずつ蓄えたように、正気である自身を保つのだ。

 Not a hope. I know where I am, and who, and what day it is. These are the tests, and I am sane. Sanity is a valuable possession; I hoard it the way people once hoarded money. I save it, so I will have enough, when the time comes.


⚫︎ 異常な環境下に長いあいだ置かれると、それを異常だとは思わなくなる。 少しでも癒しがあれば環境に順応していくのも、自らを守ろうとする動物としての本能なのか。
 「正直言って最近は逃げ出そうと思わなくなってきた。 恥ずべきことだけれども、夫と離れた今となっては、時には運転手のニックに抱かれてここで暮らせるのでも良いと思えるようになってしまった。 人間とは何と順応性の高い動物なんだろう」

 The fact is that I no longer want to leave, escape, cross the border to freedom. I want to be here, with Nick, where I can get at him.
 Telling this, I’m ashamed of myself. But there’s more to it than that. Even now, I can recognize this admission as a kind of boasting. There’s pride in it, because it demonstrates how extreme and therefore justified it was, for me. How well worth it. It’s like stories of illness and near-death, from which you have recovered; like stories of war. They demonstrate seriousness.
 Such seriousness, about a man, then, had not seemed possible to me before.
 Some days I was more rational. I did not put it, to myself, in terms of love. I said, I have made a life for myself, here, of a sort. That must have been what the settlers’ wives thought, and women who survived wars, if they still had a man. Humanity is so adaptable, my mother would say. Truly amazing, what people can get used to, as long as there are a few compensations.


⚫︎ 女性を抑圧し管理するのに最も経済的で効率的な手法は、女性自身に組織を管理させることだ。

 In this connection a few comments upon the crack female control agency known as the “Aunts” is perhaps in order. Judd – according to the Limpkin material – was of the opinion from the outset that the best and most cost-effective way to control women for reproductive and other purposes was through women themselves.


 ウソの話であってほしい。SFの中の作り話であってほしい、と思わせるほどよくできたお話ということでしょう。しかし残念ながら過去の歴史を学ぶと、この描かれた世界は絵空事でないことが分かります。 ではどうすれば良い? 
 チャーチルの言葉を引用します。
 「これまでも多くの政治体制が試みられてきたし、またこれからも過ちと悲哀にみちたこの世界中で試みられていくだろう。 民主主義が完全で賢明であると見せかけることは誰にも出来ない。 実際のところ、民主主義は最悪の政治形態と言うことが出来る。これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば、だが。」
 欠陥も多く手垢にまみれているかもしれませんが、最低限のストッパーとしての、民主主義の大切さを今更ながらに感じました。 


 読み続けるのがしんどくなる類いの小説ですが、ぜひ最後のエピローグまで読んで下さいね。 ハッピーエンドとは言えないまでも、ジョージ・オーウェルの「1984」(82冊目)のラストにも似た一筋の光が見えてきます。
「すべての人を少しの間騙すことはできる。一部の人をずっと騙すこともできる。しかし、すべての人をずっと騙すことはできない」

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